公益財団法人ボーイスカウト日本連盟                          Scout Association of Japan

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ボーイスカウト活動の始まり

2000年11月現在、世界には、2,800万名以上のスカウトがいる。これまでに2億5,000万人以上の人たちがスカウトを経験し、社会のあらゆる分野に著名な人々を送り出している。

1907年8月初旬の8日間、20名の少年たちが英国のドーセット、プール近郊のブラウンシー島で実験キャンプを行ったことから、この運動は始まった。

実験キャンプは大成功であった。これを組織したロバート・ベーデン-パウエル卿 (Lord Robert Baden-Powell : B-P) は、彼の考案した訓練と訓育方式が青少年にとって魅力的なものであり、かつ有効であることを確信した。 1908年1月、B-Pは「スカウティング・フォア・ボーイズ」を創刊した。この本は、4ペンスで隔週分冊で発行した。この本はまたたくまに売り切れる人気を収めた。

B-Pの意図は、ただ、この少年たちの訓練方法をボーイズ・ブリゲードやYMCAのような既存の青少年団体で採用するように提供することにあった。驚いたことに、少年たちは自分たちで組織を形成していき、これが、今日世界最大の自主参加による青少年活動となったのである。

 

創始者べーデン-パウエル(B-P)卿の経歴

ロバート・ベーデン-パウエル卿は、1857年2月22日に生まれた。ブラウンシー島で実験キャンプを行ったのは、B-Pが50歳の時だった。B-Pは自分自身の少年時代および軍人としての多くの経験から、独創的な訓練方法を作り上げたのであった。

少年時代のB-Pは、10人兄弟(うち男6人)の中で成長した。休暇はキャンプ、ハイキング、ボート遊びに興じた。

B-Pは、テントの設営、地図とコンパスの使用法、まきを使っての炊事等野外生活に必要なさまざまな技術を身につけた。学生生活を送った英国チャーターハウスの校舎付近では、立入禁止の森林があったが、B-Pは明るい時間にこっそりと忍び込んで、足跡を残さない方法や、木の登り方や、学校の教師が森の見回りに来た時、気付かれないよう身をひそめる方法等を学んだ。

1876年、B-Pは陸軍の士官としてインドにわたり、斥侯、地図作り、調査報告に専念した。B-Pはすぐに頭角を表し、その成果を認められて、他の兵士を訓練する職務を任された。B-Pの訓練方法は、当時にはまだ目新しい方法であった − それは、小単位、つまり班が一人の指導者の下で作業を行い、成績のよい班を特別に表彰するものであった。技能の向上著しい兵士たちには、B-Pは磁石の北位点をユリの花の形を合わせた図柄の記章を授与した。今日の世界共通のスカウト章は、これを厚型としている。

その後、B-Pはバルカン半島、南アフリカ、マルタで軍務についた。その後、再びアフリカに戻り南アフリカ戦争が開戦、マフェキングの攻囲217日間防衛に活躍した。これでB-Pのスカウティング技能の重大な試金石となった。マフェキングの伝令部隊に配属された少年たちが発揮した勇気と機知は、彼にとって生涯忘れられない強い印象を残した。他方、彼の功績は、英国民に忘れえない印象をのこした。

帰国してみて、B-Pは自身が全国的なヒーローとなっていることを知った。また、兵士たちのために書いた小さなハンドブックがボーイズ・クラブやボーイズブリゲード等での隊員に対する観察や野外生活の指導書に使われているのを知った。こうして、1907年にブラウンシー島でのキャンプで彼のアイディアが試行されたのであった。

 

ボーイスカウト運動としての成長

「スカウティング・フォア・ボーイズ」が爆発的に少年たちに広まったことから、ボーイスカウト活動は、全く自動的に、非常に迅速にイギリス国内や海外にまで伸展していた。そして、1908年にイギリスのロンドンに運営のための事務所が設立された。こうしてボーイスカウト活動は全国的、国際的な運動としての第一歩を踏み出した。

1909年までに運動は、確固たる地盤を築いた。「スカウティング・フォア・ボーイズ」は5か国語に翻訳されていた。ロンドンでのスカウトたちの集会「スカウトラリー」には11,000名以上のスカウトが参集した。南アフリカとチリは、B-Pが休暇を過ごすために訪れた結果、英国外でスカウティングが最初に開始された国の一つとなった。1910年、B-Pはカナダと合衆国を訪問したが、両国には既にスカウティングが開始されていた。

1914年の第一次世界大戦の勃発で、本連動は崩壊に向かうかのように思われた。しかし、班制度を通じて行われてきた訓練が、その真価を発揮した。班長は、大人の指導者たちが戦場にある間は、自分たちだけで活動を進めていた。しかも、スカウトたちは多岐にわたり、この非常事態に貢献した。特筆すべき働きは、シースカウトたちであった。彼らは沿岸警備隊員が外洋での勤務を後顧の憂えなく行えるよう国内の沿岸警備を助けた。

第1回世界ジャンボリーは、1920年に開催され、多くの国から若者たちが一堂に会た。この国際的な大会により、共通の興味と理念とを分かちあえることを身をもって体験した。このロンドンのオリンピアでの第1回世界ジャンボリー以降、開催地を様々に移して、これまで18回の世界ジャンボリーが開催された。

 

スカウトブログラム

スカウティングは創始当初は、11歳から18歳の少年たちのためのプログラムであった。しかし、すぐに、それ以外の若者からの参加要望が出されてきた。こうしてガールガイドのプログラムが1910年にB-Pにより開始され、1912年に彼の妻であるオレブがチーフガイドとなった。ウルフカブ部門は年少の少年たちのために開始された。これは、キプリング著の「ジャングルブック」が活動の素材となる背景として使われている。年長の少年たちのためにローバースカウト部門も設立された。

スカウトたちの訓育プログラムの区分となる名称や内容となる特色は国により異なる。例えば、区分としてはカブスカウト、ビーバー、ボーイスカウト、スカウト、ローバー、エクスプローラー、シニアースカウト、その他いろいろな部門としての名称がある。また国によっては、6歳になれば加入できる部門もある。多くの国々では、少年少女どちらもが参加できるよう門戸を開いている。

2度の世界大戦の間にも、スカウティングは −スカウティングを禁止した全体主義国を除き− 世界中のあらゆる地域で盛んに行われていった。(スカウティングは基本的に民主主義的で自主参加である。)

1939年に第2次世界大戦が始まった時、スカウトたちは、このときも班長の下で活動を継続した。伝令、火災の監視役、担架運搬役、廃品回収等、国家のために役立つ多くの奉仕作業を実施した。占領されていた国々では、スカウティングは隠密裡に続けられ、レジスタンスや地下活動で重要な役割を果たすこともあった。大戦終了後に明らかとなったことだが、何と占領下の国々の中にはスカウト数が増加したところもあった。

ブラウンシー島での小さなキャンプから開始されて、今日までにほぼ世界中にスカウトたちがいる運動に成長した。青少年プログラムは、開発途上国や、大都会の人口過密地、貧困地域など、様々に異なる社会環境の中で展開され、幅広い活動っとなっている。