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日本連盟役員として長きにわたりご尽力いただいた新藤信夫氏が令和2年8月10日、ご逝去されました(享年81)。
謹んでご冥福をお祈りいたします。


[県連盟および日本連盟奉仕歴]群馬県連盟 理事長(H4年〜)、群馬県連盟 副連盟長(H12年〜)、日本連盟 教育本部中央審議会議長(H11年〜)、日本連盟 常務理事(H19年〜)、日本連盟 コミッショナー(H22年〜)、日本連盟 専務理事(H24年〜)、日本連盟 顧問/先達(H28年〜)
[日本連盟受章歴]かっこう章(S54年)、たか章(H2年)、特別功績章/スカウティング褒章(H27年)、きじ章(H30年)
[外部受章歴]文部大臣表彰(H9年)、藍綬褒章(H14年)、旭日単光章(H26年)

 

新藤信夫さんを偲んで

日本連盟 総長 奥島 孝康

大学卒業後、長い間スカウト運動から遠ざかっていて、いきなり日本連盟理事長として復帰したぼくにとって、新藤氏の輝かしい活躍ぶりはまぶしい存在であった。高校1年生から発隊したばかりの伊勢崎第4隊に入隊し、高校2年生から隊長代行を務め、以来桐生第1団を中心にスカウト活動を続け、ボーイスカウト群馬県連盟理事長、日本連盟理事、日本連盟中央審議会議長、日本連盟コミッショナーなど、まさしく八面六臂の大活躍を続けてこられたことは、周知のところである。

新藤さんの訃報を受け取った8月13日の昼すぎは、一瞬時が止まるかと思われるほどの大きな衝撃の大雷鳴があった。ぼくは浦和の自宅にいたが、一天にわかに天地がひっくり返るような一大雷鳴がとどろき渡り、あたかも天が彼の死に慟哭するかのごとく、それはすさまじく、3時間近くも雷鳴がとどろいた。

ぼくは、日本連盟の理事長に就任すると、人事を熟慮したうえで、最も信頼すべき方として、新藤さんと西村さんの2人を専務理事として、連盟の総括を新藤氏に委ね、第23回世界スカウトジャンボリーを西村氏に委ねた。もとより、これは完璧な布陣というわけではなかったが、今から考えてみても、当時としてはベストに近い布陣であったと考える。とりわけ、新藤さんのさまざまな配慮は後になって大変生きている。さすがに、大ベテランは気配りと手配りであった。ぼくがどんなに感謝しているか、それを伝える十分な時間がなかったことが悔やまれる。

新藤さんは、ミツバ電機企業体スカウトとして、長年にわたって役員を務め、その経営手腕をボーイスカウトの運営にも応用して多大な成果を挙げられたことは、万人の知るところである。その意味では、スカウト活動を企業活動と実にうまくバランスをとって、その人生を送られた。まれにみる人生といわなければならない。スカウト活動と企業活動を全体的に見事にマッチさせるという稀有な人生を送られた方として珍しい。まさしく「きじ章」にふさわしい方であった。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

ボーイスカウト日本連盟機関誌「SCOUTING」2020年9月号より

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