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<機関誌「SCOUTING」2022年11月号の記事を本サイトにも掲載しております。内容は機関誌発行当時のものです。>

先達に学ぶ、ボーイスカウト日本連盟100周年

ボーイスカウトの歩みを諸先輩方から教えていただく機会として、先達のお話を伺います。今回は、常務理事、総コミッショナーを歴任された杉原先達に、戦後のボーイスカウト再建についてお話いただきました。



 

エポック・数々の出来事の中から
日本連盟先達、東京連盟連盟長 杉原 正

 

日本のボーイスカウト運動の歩みは、戦前の少年団時代と戦後のスカウト活動に大別されます。
1922年11月、各地で独自に展開されていた少年団活動が組織化され「少年団日本連盟」が結成されます。
1941年に太平洋戦争が起り、国策により既存の青少年団体を統合して、小学校4年生以上の少年少女から25才までの青年を対象とする「大日本青少年団」が結成され、この統合により少年団活動は一時休止します。
1945年8月、日本は太平洋戦争の敗戦により米・英を中心とする連合国軍によって占領され、サンフランシスコ講和条約締結までの7年間は、連合国軍総司令部(GHQ)、いわゆる「進駐軍」の統治下にありました。
終戦直後から少年団関係者や日系二世などによってGHQ・民間情報教育局(CIE)にスカウト再建への折衝が始まりました。
1946年12月、CIEから①ユニフォームを着用しない、②敬礼をしない(スカウトサインのみ)、③号令をかけない、④行進をしない ことを条件に認可がおり、翌47 年から東京で5隊、横浜で1隊の実験隊の活動が始まります。

 

戦後におけるスカウティングのはじまり

私は12月、東京第4隊(東京港第1団)に仮入隊し、GHQ提供の米国の「スカウトハンドブック」「ソングブック」を用い、英語で“ちかい”を覚え、スカウトソングを楽しみました。
10年後の1957年、待望の「Scouting ForBoys」の和訳本が出版されました。
当時の三島通陽総長は〈刊行にあたって〉の中で“戦後再建された日本連盟としては、何をおいても先ず第一に、この本の訳本を出版させねばならなかったが、当時は英国からの図書の入手は極めて困難であり、経費の点からも実現できなかった”としており、当時の状況が示されています。
また巻末では、総長と訳者の中村知先哲は「この本は、スカウティングの公分母で日本のスカウティングは公分子の活動であるから」として、この本の必読を勧めています。
私は、この節目のとき、スカウティングの原点(原典)となるこの本を改めて再読、精読することを強く勧めます。
また、同時期に先人たちは、スカウティングの本流を極めたいと“Back to Gilwell”の歌を愛唱し、ギルウェル訓練所の訓練を日本で開設したいと熱望し、1957年5月、山中野営場で第1回日本ギルウェル実修所(スカウトコース)の開設が実現します。
参加者たちは、「スカウティングは楽しい」ことを体験し、「行うことによって学ぶ」ことを実践し、コース修了後に先人が教示された「野外は教室、自然が先生」をスカウトたちに伝播させ、大きな影響を残します。
歴史を想うとき、英国の歴史家E・H・カーの「歴史とは、現在と過去との対話である」の言葉が浮かびます。
指導者訓練においても過去との対話は必須。指導者が学習すべき〈知識・技能・心構え〉をどのように学ぶかの訓練方式は、時代に流されることなく再構築していくことが肝要であります。歴史と正対するためには、先ず、現在を凝視すること。
その上で過去を改めて検証すること、そして現在と過去を踏まえて未来を洞察することが大事。次代を担う青少年を未来に誘うには、検証・凝視・洞察は欠くことのできない作業と考えます。

 

ボーイスカウトと皇室の繋がり

1921年、昭和天皇が皇太子時代、訪英の折にB-P卿と謁見され、スカウト精神とその教育法について話を聞かれています。
その後、側近の人々に“わが国のボーイスカウトに火をつけたのは、自分だ”と話されていたことを、ご学友である渡辺昭総長から伺ったことがあります。
今上天皇は、浩宮親王殿下時代、英国留学前の1982年に南蔵王での第8回日本ジャンボリーにご臨席され、富士スカウトと共に2日間のキャンプを体験されました。
その際、私は、渡辺昭総長から接伴隊長の特命を受けました。
キャンプ後に殿下からのお話もあり、翌年の春に東宮御所で同じメンバーで2日間のキャンプをご一緒することになりました。
キャンプ終了の折、“スカウトキャンプは奥深いですね”とのお言葉を賜り、スカウターとしてこれを重く受け止めています。
このキャンプを契機に富士スカウトの東宮御所への参殿が始まったことを改めてここに記し、心から感謝申し上げます。

 

100周年のときに

100周年を迎えるとき、コロナ禍という試練に遭遇して疲弊の色が見えます。しかし希望があります。
創始者B-P卿が終焉の地、ケニヤのニエリで、眠前のケニヤ山が自分に語りかけているという言葉「視野をより広く、より高く、より遠く、前を見なさい。そうすれば道が見えてくるでしょう」と残されています。道があり、道が見えてくることを確信して、これからも共に進みたいと思います。

 

ボーイスカウト日本連盟機関誌「SCOUTING」2022年11月号にも掲載している内容です

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